岡山石井十次顕彰会設立準備会は「児童福祉の父」と言われる石井十次の「愛」と「祈り」と「奉仕」の精神を伝承し、その功績を後世に伝えるべく活動を行っております。
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石井十次の経歴
1865〜1889年
│
1890〜1899年
│
1900〜1914年
│
1919〜現在
1865〜1889年
1865(慶応元)年
0歳
4月11日:高鍋藩の藩士石井萬吉、母乃婦子の長男として、宮崎県児湯郡上江村馬場原に生れる。幼名を萬十郎のち十次と改める。
4歳で寺小屋に入り、6歳で明倫堂に学び、父の県庁勤務の都合で9歳から12歳まで宮崎学校に、再び高鍋に帰り12〜13歳を高鍋学校で学び、一等賞で卒業。晩翠学舎に入ったが、14歳で海軍士官を志望して芝の功玉舎に入学、翌年脚気を患い帰郷する。
1880(明治13)年
15歳
5月:右大臣岩倉具視暗殺の嫌疑で51日間収監される。在監中西郷隆盛の吉野村開墾の話を聞き感銘を受け、釈放されると直ちに五指社を設立、開墾事業を起こす。
1881(明治14)年
16歳
9月:内野品子(15歳)と結婚。上江小学校教師。
1882(明治15)年
17歳
1月:宮崎警察署の雇。(16歳)
9月:荻原百々平宮崎病院長の勧めで岡山県甲種医学校入学。
1884(明治17)年
19歳
8月:馬場原に朝晩学校を開く。
11月2日:岡山其督教会牧師、金森通倫より受洗。同日炭谷小梅女子と会う。
1885(明治18)年
20歳
6月21日の日誌に、「紙なくして日記をなすことを得ず」とある(7月3日まで)。同年12月19日から医学校校長管乃芳氏宅の食客となる(翌年2月25日まで)。
1887(明治20)年
22歳
4月1日:岡山県邑久郡大宮村上阿知診療所で代診。(21歳)
4月20日:貧児前原定一を救う。
9月22日:孤児教育会を三友寺に設く(後に岡山孤児院と改称)。
1888(明治21)年
22歳
4月3日:岡山区京橋下の浮浪児20余名を導き孤児院の軒下で教授する。「襤褸軒の下学校」と称する。
1889(明治22)年
23歳
1月10日:6年間学んだ医書を焼き孤児教育への専心を決意。
※医書を焼く 明治22年1月10日(石井十次回想言より)
6ヵ年間学びえたる医書に石油を注ぎ、火を放って焚き尽くし、全身を孤児院事業になげうてり。
これより衷心、一の苦悶なく、外友人の忠言止み、全力を天命の事業に傾注することを得るに至れり。
この時妻は泣き、友人は悲しみ、世人は発狂せりと評せしも、予は初めて心中言うべからざる福を感ぜり。
予が過去10年間に於いて最も苦心せしは,実にこの難問題を解決するまでの1年半なりき。
2月13日:第三高等中学校医学部を退学する。
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1890〜1899年
1890(明治23)年
24歳
1月9日:長女「友」生れる。
1891(明治24)年
25歳
10月28日:濃尾大震災。93名救済。
1892(明治25)年
26歳
1月18日:次女「震子」生れる。
1893(明治26)年
27歳
10月14日:岡山洪水で院児防水に出動。
11月7日:風琴音楽隊を組織。
1894(明治27)年
28歳
4月8日:『エミール』の訳読を聞く。(11月11日まで227日間)
※「エミール」ジャン・ジャック・ルソー(フランスの啓蒙思想家)1762年著
「子供の教育は、心身の自然な発育段階に応じて子供の自主性を育て尊重して、諸能力を引き出すことにある。」というルソーの著書。
石井十次はこの「エミール」に感化され、茶臼原に於して、農業的労作教育を柱にした「散存的孤児院(里親村)」を作ろうと考え、やがて「時代教育法」を編み出した。
4月16日:茶臼原の開拓に着手。3回に分けて院児60名送る。
1895(明治28)年
29歳
3月21日:三女「基和子」生れる。
9月12日:妻「品子」永眠。(29歳)
12月16日:吉田辰子(31歳)と再婚。
1896(明治29)年
30歳
7月22日:岡山孤児院新報第一号発刊。
1897(明治30)年
31歳
10月16日:「時代教育法」を案出。
※時代教育法(明治30年10月16日)
「幼児は遊ばせ、子は学ばせ、青年は働かせる」
10歳未満の児童は、茶臼原で自由自在に遊ばしめる。
10歳から15歳の少年は、岡山に連れ帰り、学校教育を受けさせる。
16歳から20歳の青年は、院内で実業教育を授け、農工商に奉公させる。
12月15日:「私立岡山孤児院尋常高等小学校」設立。
1898(明治31)年
32歳
2月5日:音楽幻燈隊を編成尾道発公演。
5月9日:賛助員募集を始める。
1899(明治32)年
33歳
1月9日:全国主要停車場に募金函設置。
9月1日:幼稚園を創設。
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1900〜1914年
1900(明治33)年
34歳
4月30日:高鍋及び茶臼原の事業中止。
10月30日:賛助会員1万人突破。
1903(明治36)年
37歳
1月16日:「ライオン教育主義を実行することを告白せり」(十次日誌)
8月11日:音楽幻燈隊に活動写真採用。
1904(明治37)年
38歳
6月30日:天皇・皇后両陛下より二千円を下賜せらる。
11月30日:母「乃婦子」永眠。
1905(明治38)年
39歳
1月1日:茶臼原事業を復興する。
1月15日:「孤児院無制限収容」を発表。
4月19日:天皇・皇后両陛下より向う10年間、年々千円を下賜せらる。
5月28日:女子部に家族制度を試行。
8月7日:委託制度(里子)を試行。
1906(明治39)年
40歳
2月23日:東北冷害被害児救済着手。
5月17日:院児1200余名となる。
※東北地方冷害被害児救済
明治38年(1905年)秋、東北地方を襲った冷害による大凶作は、多くの農家を破産・離散状態に追いやった。その実態を知った十次は、明治39年2月、仙台・福島・岩沼に救済事務所を設け弧貧児救済に着手。6回に分け計825名を岡山に送り保護した。この結果院児は1200名を超えることとなった。
7月28日:日向移住隊50名出発。
8月:全院に「家族制度」施行。(男子部31戸・女子部20戸・茶臼原4戸)
10月1日:茶臼原に「農業小学校」設立。
全面「委託制度(里子)」導入。
※委託制度(委託の条件)
人情純朴で、地勢高燥、水清く衛生に適した地方。
幼年児女がいなく、正直で、親切な農家。
里子の数は一戸一人に限る。
毎月養育料(目下金4円)を払うとき、体重を計り養育の良否を観察し、成績不良のときは他に移す。
1907(明治40)年
41歳
5月20日:東北冷害被害児送還始まる。
1908(明治41)年
42歳
2月15日:「岡山孤児院12則」発表(孤児院新報)。
※岡山孤児院12則 (明治41年2月15日)
(1)家族制度(2)委託制度(3)満腹主義(4)実行主義(5)非体罰主義(6)托鉢主義(7)非借金主義(8)米洗主義(9)宗教教育(10)密室教育(11)小学教育(12)実業教育
4月15日:「三代教育論」発表(孤児院新報)。
※三代教育論(明治41年4月15日)
「親は働き、子は学べ、三代目には小作人が地主となる」
5月6日:小野田鉄弥をハワイ・米国に派遣の時十次激励の言葉。『愛の道に坂なし、大胆の中に妙法あり』
1910(明治43)年
44歳
6〜7月:校舎1棟、塾舎7棟を岡山から搬送、移築。
1911(明治44)年
45歳
5月15日:三女「貴和子」永眠。(16歳)
8月27日:父「萬吉」永眠(76歳)。
1912(明治45)年
46歳
3月27日:院児、職員の移住完了。(岡山には「里子」91名を残すのみ)
1913(大正2)年
47歳
1月5日:私立茶臼原尋常小学校認可。
2月11日:「茶臼原憲法」制定。
4月2日:長女「友」児島虎次郎と結婚。
(後列:石井十次 / 石井辰子 / 炭谷小梅 / 石井震子)
(前列:大原孫三郎 / 児嶋虎次郎 / 新婦・友 / 大原寿恵子)
12月18日:次女「震子」舘野知春と結婚。
1914(大正3)年
48歳
1月30日(午前):初孫・児嶋こう(九に虎と書く)一郎生れる。
(午後2時頃):石井十次、永眠。
3月10日:大原孫三郎、事業を継承。
※石井十次と大原孫三郎と児島虎二郎・3人の絆
石井と大原が出会ったのは、明治32年、石井が34歳、大原が19歳(東京専門学校・現早稲田大学)の時。それまでの遊び癖を改め、石井にとっては最大の支援者となる。石井没後岡山孤児院の事業を継承した。
石井は大原に言った。
「君と僕とは炭素と酸素、会えば何時でも焔となる」
児島は大原家の奨学生となって東京美術学校を主席で卒業、大原の紹介で岡山孤児院に泊り込んで描いた「情けの庭」が一等賞、皇后陛下のお買い上げとなる。
大原の奨めで欧州に学ぶ。更にエル・グレコの「受胎告知」、モネの「睡蓮」など世界の名画古代エジプトの彫刻等を買い求め日本に送った。
大原は、児島没後「大原美術館」を建て、児島弔いの館として、その功績を永遠に讃える。
日本の文化・福祉に対する貢献は計り知れない。
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1919〜現在
1919(大正8)年
1月23日:大庭猛、事業を継承。
1921(大正10)年
石井辰子、事業を継承。
1926(大正15)年
8月:「岡山孤児院」解散。
1927(昭和2)年
3月21日:石井辰子、永眠。(65歳)
4月1日:「石井記念協会」設立。(残務整理、残留院児の保護にあたる)
1929(昭和4)年
3月8日:児島虎次郎、永眠。(47歳)
1943(昭和18)年
1月18日:大原孫三郎、永眠。(62歳)
▲大原孫三郎:1880〜1943(62歳)
1945(昭和20)年
8月15日:第二次世界大戦、終結。
高鍋で終戦を迎えた十次の孫、児嶋こう(九に虎と書く)一郎は、十次が残した土地、建物、文献等を守ってきた柿原政一郎の勧めで、戦争の犠牲となった孤児を救うことを決意した。
10月21日:「石井記念友愛社」設立。
1948(昭和23)年
1月1日:児童福祉法施行により養護施設として認可。
1952(昭和27)年
5月20日:「石井記念友愛社」社会福祉法人として認可。
1962(昭和37)年
1月14日:柿原政一郎、永眠。(78歳)
▲柿原政一郎:1883〜1962(78歳)
1977(昭和52)年
10月28日:ベトナムの家、開設。
児嶋こう(九に虎と書く)一郎は、十次が岡山孤児院時代に、世界各地から多くの励ましと支援を受けた、そのご恩返しにと、日赤委託事業を受けた。
1979(昭和54)年
12月24日:「石井十次資料館」建設。
1983(昭和58)年
10月:「石井十次日誌」私費出版。
1988(昭和63)年
3月31日:ベトナムの家、閉鎖。
1991(平成3)年
1月30日:児嶋草次郎、第二代理事長就任。
1992(平成4)年
7月10日:児嶋こう(九に虎と書く)一郎・初代理事長、永眠。(78歳)
▲児嶋こう(九に虎と書く)一郎:1914〜1992(78歳)
1997(平成9)年
3月25日:石井記念友愛園、園舎新築落成。
1865〜1889年
│
1890〜1899年
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1900〜1914年
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1919〜現在
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